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大切な存在。おい、わたしのお父さんだぞ、と感じてしまった話。 [看護いろいろ]

わたしが看護学生のときの話。

鮎の友釣りが大好きな父親が、大きな病気をして入院したことがありました。
血糖値が高いため(もともと立派な糖尿病)手術ができず、血糖値をコントロールする目的もあって、術前入院期間が長かったんです。

そして術前入院中は、内服薬での血糖値のコントロールには限界があるということで、「インスリン注射」で血糖コントロールを行うことになりました。
「インスリン注射」というのは、血糖値を下げるホルモンである「インスリン」を、身体の外から補うための注射のことです。
実はこの注射、「自己注射」と呼ばれる、患者さん本人が自分で注射する方法が積極的に行われている注射なんです。
え、注射を自分で??とびっくりされる方もいらっしゃると思いますが、患者さんが自分で注射しやすいように、太めのペンタイプの注射器の開発も進んでいます。
特に、お家で生活している患者さんは、医師から決められた量のインスリンを、決められたタイミングで患者さん自身で注射している場合も多いです。

で、私の父親も、「インスリンの自己注射」を練習することになりました。
この「インスリンの自己注射」って、清潔に、正しい方法で、正しい量のインスリンを注射できるように準備し、また実施するのって、いくつもステップがあって、意外と難しいんですよね。
でも、何度か看護師の方と練習することで、父親も少しづつその手技に自信がついてきたのでしょう、わたしの妹に、「注射が自分でできるようになったよ」と報告してくれたそうです。

ここからが問題の出来事です。
ある日、母と妹がお見舞いに行くと、ちょうど、「インスリン自己注射」を父親が実施する場面だったそうです。看護師の方に見守られながらですね。
で、父親も緊張したのでしょう、みんなに見守られて、手技を間違ってしまったらしいんです。

そこでその看護師が一言、「ダメじゃん」って。
その場面にいた妹は、すぐに私に電話をくれました。「お父さん、すっごくかわいそうだったよ」って。

その出来事を電話で聞いたわたし、怒りというか、悔しさというか。


「おい、わたしのお父さんだぞ」って気持ち[ダッシュ(走り出すさま)]


父親は、あまりいらないことを言わない、我慢強い人で、手術が不安だということも、病院生活に不満があるということも何も言っていませんでした。
でも、そういった場面から、父親が人間として、男性(どちらかって言うと、漢ってタイプ)として、家族の大黒柱として、どんな辛い思いをしながら入院生活を送っているのか感じられました。

あー、今思い出すだけで[ちっ(怒った顔)][ちっ(怒った顔)][ちっ(怒った顔)]

でも、この患者さんの家族としての体験のおかげで、大切なことを学び、印象づけられました…。

看護師として接している目の前の患者さんが、たとえ毎日パジャマを着ていても、寝ていることが多くても、お話しできなくても、「インスリン自己注射」ができなくても、その方にはご家族がいて、大きな役割があって、自分が出会ったこともないような体験の詰まった人生という歴史をお持ちであるということ、その方が大切な存在であるということを忘れてはいけないということです。


ハート.jpg


この学びは、病棟の看護師をやめた今でも、日常生活のあらゆる場面で、大変いかされているように思います[ぴかぴか(新しい)]


*moari*




はじめてのスマホ投稿。入浴介助。 [看護いろいろ]

調子に乗って、電車移動中に投稿です。

となりの中年男性の黒いジャンパーの上、肩の上にフケがたくさん乗っていて、色んなことを考えています。

一人暮らしなんだろうか、
風呂にはどれくらいの頻度で入ってるのか、
やっぱりお顔もカサカサか、
シャンプーが合わないのか、などなど。

これは、看護師の悪いクセですね、すぐさまその方をアセスメント、分析…。

フケといったらシャンプー、シャンプーといったら入浴で、わたしは看護ケアの中で一番、入浴介助が好きでした。なかなかの肉体労働なのですが。

理由はたくさんあります。
石鹸のいいにおい。
いつも病棟でお会いしている患者さんとの、「なんちゃって裸の付き合い感」、急に距離が縮まった!みたいな感覚。
その方のご家族でもないのに、シャンプーさせてもらったり。

つい最近まで面識のなかった方の身体を洗ったり、フケを取り除いたり、本当に特別なことをする、させてもらえるお仕事ですね、看護師。

今もとなりの方の肩が気になって、いっそのこと、看護師の時のように、ぱっぱってはらおうか、と手が出そうになります(--;)。
でも、がまんがまん。


*moari*



意思決定って難しい。看護師として、それをサポートしていたはずなのに。 [看護いろいろ]

気づいたら、看護師らしい記事を書いていないじゃないかって思いました[あせあせ(飛び散る汗)]
急いで記事にしてますが、ずっと考えていることです…。


最近の生活、自分と向き合うことや、自分の好きだと思う気持ちを大切にしたり、「よくばって、たくさん持ちすぎていた余分な荷物を整理する」生活をしていると、「患者さんに、とっても難しい、大変なことをお願いしていたんだな」って思い出して、反省したり、恥ずかしくなることがあります。

その1つが、患者さんやそのご家族に、「意思決定」をがんばってとお願いしたり、「意思決定」を20代小娘看護師がサポートすることを任せてほしいとお願いしていたことです。

患者さんの「意思決定」って具体的には、治療の方法を決めたり(苦しい治療をするのか、しないのかとか)、治療が終わった後過ごす環境を決めたり(自宅か施設かとか)、がありますが、そんな大きな「意思決定」だけではなくって、「どんなパジャマに着替えるのか」、「どんな下着を着用したいか」というような、ちょっとした日常の場面もまた大切な「意思決定」場面であると、わたしは考えています。

看護師って、そういった場面に同席することが多くって、そういった大切な場面やそのプロセスをサポートさせていただくことが多いのですが、その時はそれが仕事でしたので、そういった大切な、尊い場面に寄り添っていることの特別感を感じることってそんなに多くなかったなって思うんですよね。
わたし自身がサポートすることに必死だったあまり、その特別感に浸れることはあまりありませんでした。

でも、最近の、自分と向き合うことや、自分の好きだと思う気持ちを大切にしたり、「よくばって、たくさん持ちすぎていた余分な荷物を整理する」ような生活をしていると、そういった生活のあらゆる場面で「意思決定」が求められるんですよね。
これまで「やらなくちゃ」、「やった方がいいんじゃないか」で固められたような生活だったので(今も同じコミュティですけど…)、「やりたい」、「好き」を訪ねられると、困ったなとかたまり、困ったことや「意思決定」を迫られていたことを忘れて翌日だったりします。

そんなに難しい「意思決定」を、切迫していたり、悲しみが優先してしまうような場面に、患者さんやそのご家族にがんばんてと、たまに急いでと、お願いしていました。
そして、そういった「意思決定」プロセスを支援させてもらったりしたんですよね…。
「もっと思いやりのある気持ちでやっていたら」、「もっとゆったりとした時間が作り出せたら」、「もっと特別な場面に立ち会っているんだという自覚を持てたら」、なんてことばかり考えてしまいます[たらーっ(汗)]

読む本を決めることも、注文するメニューを選ぶこともへたくそ、「意思決定」がへたくそなわたしですから…、なんて背伸びした、そして貴重な仕事を任せてもらっていたんでしょうか。
恵まれた環境でお仕事していましたね。本当な幸せな時間、生活でした。
看護師として患者さんとお会いする日々に、やっぱり心残りはたくさんありますね。

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でも、今の環境を、へたくそながらも自分で「意思決定」して整えてきたわけですから、がんばらないと[手(グー)]


*moari*












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